世界に広がるウチナーンチュ
「いちゃりばちょーでー」— 出会えば皆兄弟。海外の県系人は約42万人。五年ごとに島へ帰り、その絆が今も切れていないことを確かめ合う。
なぜ沖縄は世界へ出たのか
「沖縄移民の父」當山久三が1899年に26人のハワイ移民を実現(1900年1月到着)。当時の沖縄は日本で最も貧しく、土地も足りず税は重かった。
沖縄戦で県民の約4分の1が失われ、島は焦土となった。土地は基地に取られた。1948〜60年代、多くがボリビア(コロニア・オキナワ)やアルゼンチンへ渡り、ブラジルへ再移住した者も多い。
沖縄県の推計で、海外の県系人は約42万人。人口比では日本のどの県よりも大きい移民社会である。
世界の県系人
世界最大の県系社会。1908年の笠戸丸781人のうち325人が沖縄県出身。サンパウロ(ヴィラ・カラン、カーザ・ヴェルデ)、カンポ・グランデ、パラナに集住。
最初の移民先(1900年)。ハワイ沖縄連合会は50余の団体を束ね、ホノルルのオキナワンフェスティバルは州最大の民族行事。
ペルー日系人の約7割が沖縄系。世界最高の比率。リマのペルー沖縄県人会(AOP)は1909年設立。
1954年、戦後の移住政策でサンタクルスに開拓。マラリアと洪水を越え、現在は同国有数の小麦・大豆産地。行政区の名は「オキナワ第一」。
アルゼンチンの日系社会はほぼ沖縄系。ブエノスアイレスの洗濯業・花卉業を築いた。アルゼンチン沖縄県人連合会が文化の拠点。
ロサンゼルス(北米沖縄県人会・1909年)、シアトル、ニューヨーク。戦後は米兵の妻として渡った女性も多く、語られてこなかった移民の道である。
戦前のダバオには麻栽培の大きな沖縄人社会があり、戦争で散逸した。子孫は今も国籍回復を求めている。メキシコ・キューバには鉱山・製糖の労働者が渡った。
大阪市大正区は「リトル沖縄」。住民の約4分の1が沖縄にルーツを持ち、道ジュネー、島豆腐の店、コミュニティFMがある。
世界を結ぶ絆
1990年から5年ごとに開催。世界の県系人が国旗を掲げて国際通りをパレードする。他県に例のない催しである。
2016年、第6回大会の閉会式で制定。大会の年だけでなく絆を続けるために。
県費留学生制度、青年研修、JICA日系研修など、若い県系人が沖縄で学ぶ道がある。
約30カ国に100以上の県人会。サンパウロの家族が沖縄の門中や曽祖父の墓を辿れるのは、この網の目があるからである。
